霊能者・占い・チャネラーに依存していない?正しく向き合わないと危険【橋本チャンネルまとめ】

5次元へ行く準備

霊能者、占い、チャネラーに相談したり、個人セッションをうけたり。
また、神社で神に祈祷をささげたり、それらには正しく向き合わないと危険な落とし穴があります。橋本チャンネルのはっしーが解説しています。

霊能者・占い・チャネラーに依存していない?正しく向き合わないと危険【橋本チャンネルまとめ】

【もくじ】

  1. この記事のもと動画
  2. 霊能者は全員が本物と偽物がいる
  3. スピリチュアルの2極化
  4. スピリチュアル:自分軸
  5. スピリチュアル:依存
  6. 自分が神
  7. 他星人オリオンのエネルギー
  8. 霊能者・チャネラー・スピ業界を目指す人へ

この記事のもと動画

霊能者は本物と偽物がいる

私はたくさんの霊能者に会ってきました。
だいたい40人くらい過去にお会いしました。
その中で、実は本物がほとんどいませんでした。

今、僕の中で推薦できるのはたった2人。
そのうちの1人が、近藤宏次朗さん。
もう1人は、寺田本家の寺田啓佐さん(生前)にご紹介いただいたある青年です。

スピリチュアルの2極化

とても大事なことを言わせてください。
たくさんの人が、「過去世見てほしい」「今どんな感じですか」などという質問をよくされます。

今日は、(近藤宏次朗さんに)宇宙語を話したり、宇宙文字を書いたりしてもらいました。
ほとんどの方が興味深々。
どんな感じなんだろうと近藤宏次朗さんと接点を持ってくださったのですけれど、ここで2つの道に分かれることだけ皆さんにお伝えしたいと思います。

スピリチュアル:自分軸

ひとつは、そういうパフォーマンスを見ても、それはそれ。
最終的には自分軸。

自分は神である。だから自分ですべてを決めていける。
というような強い信念を持った人。

もうひとつは、そこに依存してしまう人。
しかし、そこに幸せは一切ありません。
あくまでも最後は自分自身、内観。
自分の内側にあるインナーチャイルドと対話をして、そこから出てきた言葉、インスピレーション、直観に従って生きて行ってもらいたいんです。

ここばかりは、もう誰も助けることができません。
全部自分でやってほしいのです

スピリチュアル:依存

依存するってことが悪いわけではないのです。
そこに本当の5次元世界に行ける道は、ないということだけお伝えしたいのです。

依存しても良い、3次元の感覚でそのまま人生を終えても良いんです。
それは全員に自由意志が与えられているからです。

これは神が作った計画の中のひとつ、法則なのです。
ですから、そこに対して何もコメントすることはないです。
ただ本当に次元上昇したい、という人に関してはここは避けて通れない。
ハードル、登竜門という風に感じています。

自分が神

知識をハートに落とし込む。もうこれだけ。ここだけです。
自分も神。
大いなる神がいるとともに自分も分け御魂だから、私も神。
自分も神なのだから、人に相談することはない。
占いをして決めるとか、神社に行って神様にお祈りするとか、そういうことではない。

あくまでも、まず基本は自分が神。
自分が神だから、すべてが自分で決められる。
確認、ちょっと迷ったときに参考のためにちょっと話を聞いてみる。
その上でもう一度内観をして、でも自分はどちらの道を選ぼうかな。
これは良いと思います。
こういう癖をつけてもらいたいと思います。

相談に行くのがダメといっているのではないのです。
あくまでもそれを参考に、自分はじゃあどちらの道を選ぶのかということです。

ただ、自分が神なのだということが、だんだん腑に落ちて、自分で洗心して御魂を磨いて、御法度の心が無くなると、自分軸がガツっとしっかりしてくるので、実は他人に相談することがだんだんなくなってくる。

他星人オリオンのエネルギー

見えない宇宙的存在、他星人が私たちをどうやら支配していた。
特にオリオン。


オリオンのエネルギーは洗心が大嫌い。
とにかく争わせたい、競わせたい、比べさせたい。
そして自分が抜きん出たい。
自分だけが得をしたい。

こういったものがオリオンのエネルギーです。
今エリート層にそんなエネルギーがはびこっている。

霊能者・チャネラー・スピ業界を目指す人たちへ

ネガティブに洗脳された人のほとんどが皆同じことをやってるのですが、このスピリチュアルの、こと霊能者とか、皆の前でチャネリングをするだとか、個人セッションをするだとかそういう立場になろうとする人に対しては、僕はとても厳しいです。

とくにその時の在り方をちゃんとみて、僕にとって違和感がある人は、お付き合いをやめたり、言うことはしっかり言う。

霊性が上がってチャクラが開くということは、ある意味楽しみでもあり、ちょっとした霊的なお試しを受ける。