普通以下こそ中学受験 偏差値50以下の戦い方

プロフィール


「行ってきま~す」

高校生の娘のポニーテールが楽しそうに揺れる後ろ姿を見送る朝。

娘は中高一貫校に通っています。 この学校は第一志望に落ちた娘を受け入れてくれた、偏差値50あたりの「ふつう」の学校です。

娘は、小3で大手受験塾に通い始めました。憧れの先輩が私立女子中に合格したことがきっかけです。

私(母親)は、週3のパートと父の介護で1時間弱の実家に通っていました。
その父が亡くなり、今度は母が胃がんで介護となり、全く自分と存在を忘れて生きており、つねにぴりぴりとしていました。

それが反映されてか、家庭内もぴりぴりと。夫婦間も緊張状態に。

小3・4の時には、塾でトップクラスにいた娘の偏差値は、どんどん下降していきました。私はそんな娘を激励どころか、叱りつけたり脅かしたりしました。

娘は、さぼったりカンニングをするようになりました。
私は「受験なんてやめちまえ!」とテキストを破ったりすることが多々ありました。

6年生の夏明け、ペットのシロが亡くなります。
娘の偏差値は模試のたび、下がっていきます。
追い打ちをかけるように、受験本番3か月前、娘が世界で一番大好きなおばあちゃんが他界。

2月1日本番。
娘は第一志望を3回受験し、不合格。繰り上げの電話は、待っても待っても来ませんでした。

第二志望の学校の制服採寸では、ふてくされて娘は試着さえしませんでした。
第二志望校の入学式の朝、制服の袖片方通しただけで娘は、「私がバカだから、ごめんね」と、号泣しはじめました。

そんな気持ちの入学式でスタートしたこの学校。
まさか、こんな平和な朝が来ようとは思いませんでした。
「この学校以外にいる自分は想像できない」なんて言っています。

でも、そう思えるようになるまでには、もう一山も二山も超えなくてはなりませんでした。
でも子供は、大人が思っているよりタフです。自分で幸せに生きようというパワーは絶対に持っています。

子育ての苦労は、小学校までと信じていた私でしたが、中学に入っての試練で、親の忍耐力を試されました。

中学受験・思春期・いじめ・介護
渦中にあり、疲れているママさんたちにすこしでもお役に立ちたいです。
それが、あの頃の私自身をも救うことになると信じているからです。

こんどう