プロフィール

中学受験は無事終わり、第二志望の学校に楽しく通っている娘を見て安心します。
「ほかの学校にいる自分が想像できない」
娘がそう言ったのは2年生の秋です。

ここまで来るのには、地獄を見てまいりました。

娘が受験すると決まったのは小4でした。
私立中の文化祭に遊びに行くことが多かったことで、私立を希望したからです。
小4で大手受験塾に通い始めました。

小5で、夫の私へのモラハラがひどくなりはじめます。
夫は、この時期から一切家で食事をしなくなりました。

小6に入り、私は要介護だった私の実母を看るために一日おきに実家に通わなくてはならなくなりました。
そのころ娘の偏差値が20ポイントも下がり、あがらなくなりました。

娘は、さぼったりカンニングをするようになりました。
私は、娘を怒鳴りました。

介護と受験で不安に押しつぶされそうな私に、覆いかぶせるように、夫のモラハラがDVにエスカレートしていきました。

娘の前で私は夫に怒鳴り、
私は勉強のことで娘を怒鳴る。

受験本番3か月をひかえたとき、私の実母は亡くなりました。
娘の大好きなおばあちゃんでした。
同時に夫のDVが本格的になってきました。

娘は第一志望を何度も受けました。
でもダメだった。
繰り上げの電話も待っても待っても来ませんでした。

そして第二志望の学校の制服採寸では、試着さえもせずサイズだけ記入です。
入学式。泣きながら第二志望の学校の制服の袖を通す娘。

娘は、何のために頑張ってきたのだろう。

中学受験という案を出したのは私。
私のせいで娘は小学生生活を失ったのです。
大好きなおばあちゃんも。

娘は泣きながら言いました。
「私がバカだから、みんなごめんね」
と。

「あれだけ頑張ってこの学校か」
夫はやっぱり入学式には現れませんでした。
写真も見ませんでした。
彼はいまだに娘の制服姿を一度も見たことがありません。

DVはコロナで勢いを増し、進行中です。

でも娘がハッピーならいい。
そう思うようにしました。
娘は今では楽しく学校に通っているし、成績も上位にいられて自分はイケてるかもって言っています。

娘を幸せにしてあげられない母親の私。
罪悪感に苛まれ、生きることも申し訳なかった。

でも、子供はたくましく自分で幸せをつかむ力があったのです。

笑うことができるようになりました。
夜明けは、絶対に来るのですね。